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Mutable Ecologies

上村洋一, Internal Weather (210217_12:23_UTORO), 2021年

(ミュータブル・エコロジー)

2021年は、東日本大震災から10年、ブラックサタデーの山火事から12年という節目の年である。この10年の間に、オーストラリアと日本では過酷な環境現象が増加し、私たちのコミュニティや文化に衝撃を与え、人間の行動や活動が与える影響について疑問を投げかけて来た。アートやデザインは、このような人間と人間以外の生態の相関関係を紐解き、よりよく理解する機会を提供してくれる。ここで、アートは、説明のための道具でもなければ、「自然科学」の代わりでもない。むしろ、アートは詩的で感情的な体験を私たちに提供してくれる。そこから新しい認識や知識が生まれる。例えば、この世界での新しい感じ方や在り方、個々のアイデンティティや文化をどう生きたり伝えたりしていくのか、政治的な行動へと向かっていくことなどである。T.J.デモスの提唱する社会・文化・政治に対するアートの重要な役割によると、アートとは、消費可能な資源だとか機能的な道具だと考えられるよりも崇高なものである。アートとは、世界の一部であり、人間の知覚の一部であり、相関関係の再考の一部であると見なされる。「Mutable Ecologies」は、国家という枠組みを超えたプロジェクトであり、アートにおける革新が、変化していく環境条件が生み出す影響をどのように問いかけるのかを考察し、生態学的な未来への新しい洞察や気づきを提供する。

このプロジェクトでは、オーストラリアと日本の第一線で活躍するクリエーターたちが、オンラインでの展示・パフォーマンス・公開討論を通じて自らの作品や研究を発表する。生態系の移り変わりを体感してもらうことを前提としたプロジェクトであり、アクティビティや技術、プレゼンテーションを通じ、環境の変遷へアートが参画する。「Mutable Ecologies」は、アーティスト、市民、組織を結びつけ、ネットワークや知識を深めたり、既存のパートナーシップを強化する。このプロジェクトは、オーストラリアと日本の強い文化的結びつきを明らかにするもので、共通する価値観や、コミュニティとの関わりや復興、環境に優しい持続可能な未来への取り組み示している。

「変容する生態系」は、環境の変化と影響に関心を寄せたプロジェクトで、テーマに対して反射的に反応しようとする姿勢と真っ向から対立するかたちで、前向きかつ思慮深く取り組むことを目指したものである。現代のメディアサイクルは、市民や政治家の意識を近視眼的に現在に集める傾向があり、特定の視点、それも大抵は特権を持つ人々からの視点で報道し、すぐに次の出来事に移り行き、歴史を曖昧にしていく。同様に、現代アートも、モダニズムの遺物に由来する「新しさ」や「今」に惹かれる傾向と無縁ではない。記念日は、過去を振り返る瞬間であると同時に、歴史・近しい過去・現在という全体を見渡す機会でもある。「変容する生態系」に選出されたアーティストたちは、生態系という複雑な領域に着目する。彼らの作品は物質的・社会的・象徴的なものが相互に結びついている場となり、そこに居合わせた私たちが情動的な体験をすることで、新しい認識が生まれてくるのである。

2011年に起こった、東北地方太平洋沖地震・津波・福島第一原子力発電所の事故を含む、東日本大震災から10年以上経過したが、震災がもたらした社会的・環境的・政治的な影響は今でも残っておりずっと対処し続けられている。これらの影響は、特に福島県の帰還困難区域に戻ろうとする、あるいは立ち退きを余儀なくされたコミュニティに顕著に表れる。「Don’t Follow the Wind」では、観客が訪れることのできない立入禁止区域でアート展を開催することにより、現在も続くコミュニティへの影響や問題の複雑さを浮き彫りにする。この中には、帰宅困難区域が、住民・元住民・訪問者にとってどのように認識され、いま現在どのような意味を持っているかをめぐる矛盾や論争も含まれている。藤井光の作品もまたこの帰宅困難区域を探求する。美術館や保存修復師の役割に焦点を当て、福島県の文化遺産の救出・修復・保存を通じて東日本大震災という出来事を紐解いていく。工芸品を救い出したり文化的な思い出の意義をめぐる際の会話が明らかにするのは、物・コミュニティ・トラウマ・遺産は互いに影響を及ぼし合っているいうことである。

一方で、日本は、戦争で核爆弾を被弾した唯一の国として語られることが多いが、オーストラリアのアボリジニやトレス海峡諸島の人々を含む多くの先住民の(社会的、文化的、物質的、政治的な)生態系も、核実験により大きな影響を受けてきた。 ヨニー・スカルスの作品は、南オーストラリア州のウーメラで英国が行った核実験を、物質的・美的・政治的に表している。この作品は、スカルスの属する一族の土地がどのような影響を受けたか、オーストラリアとイギリスの政府がこの土地とその人々にどのような認識を持っていたかという植民地主義的な価値観を、力強く可視化している。

クリントン・ナイナの作品では、この地に最初に主権を有していた人々が気候変動をどう理解しているかが表現される。気候や生態系の未来に関する会話や議論に、アボリジニやトレス海峡諸島民の声を取り入れることは必要不可欠である。というのも、これらのコミュニティは、大地に関する文化的知識を持っているだけでなく、入植者の植民地化及び資本主義的な行動によって、彼らの土地・人々・文化が変容し(その多くは破壊され)てきたという生きた経験を持っているからである。

「変容する生態系」のもうひとつの重要なテーマは、人間の活動によって影響を受けている、特有の生態系のある場所で活動するアーティストたちである。上村洋一の音響と映像の作品は、オホーツク海での流氷のフィールドワークから生まれてきた。流氷は、シベリアで凍り北海道に流れ着く。上村は、物質と技術、環境が交わることを示す情動的で臨場感のあるインスタレーションを制作し、変化する気候や人間と非人間の間に存在する曖昧な関係に注目を促す。ポリー・スタントンの映像作品は、オーストラリアのマレーにある塩湖の独特な地形をたどり、自然界とそれを産業化することについて詩的な考察を行う。彼女の作品は、その場にいるような親密な体験を提供すると同時に、この独特な地形を俯瞰する体験も提供する。毛利悠子も、同様に複雑な生態系にアプローチし、東京の地下鉄の地下水漏れをDIYで修理する様子を民族誌的な視点から紹介している。何世紀にもわたって東京(そして江戸)では人工的な水の管理が歴史的に行われてきており、このような「インスタント・アーキテクチャー」による水漏れの修理が、人間・私たち人間の歴史・都市の生態系の特異な相互関係を明らかにする。

これらの展示に併せて、森林の生息地、寒冷地の科学とコミュニケーション、大気や局地的気候の新たな探求、食べものを演奏可能なハイブリッド楽器にすることをテーマにした、一連のライブイベントやディスカッションも開催される。

「変容する生態系」で展示される作品は、問題を解決するために作られたものでも、状況を「単純化」するために作られたものでも、歴史を「記録にする」ために作られたものでもない。作品たちが解き明かす問題は重層的で常に変化しており、作品が提示する状況は入り組んでおり、作品が明かす歴史は過去ではなく現在進行形である。このプロジェクトが目指すのは、絶えず変わりゆく相互に繋がっている私たちの世界の持つ複雑性ー相関的な自然、体感することや、大抵の場合衝撃的である人間というものーを、認識し認めることである。

キュレーション クリステン・シャープ, フィリップ・サマルツィス そして アンドリュー・テトラフ

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